したがって、本書中で使用する「四季」という言葉は、すべて二十四節気を元にして天文学的に厳密に定義されたものを指し、普段使用している時期的にあいまいなところがある四季という言葉とは異なることに注意していただきたい。
また、冬至の日は1年で最も昼の時間が短く、それ以降、徐々に昼間の時間が長くなっていくが、旧暦の11月は必ず冬至を含むように定められており、寒から暖に転じる始まりであることから「一陽」とされた。続く旧暦12月を「二陽」として、さらに日照時間が長くなった立春を含む旧暦の年初・正月の頃を「三陽」とし、三陽になると万物が「開泰」するという考えがあった。「泰」は易の六十四卦の一つである「地天泰」を指し、「天地が交わって、志を同じくする」という意がある。
つまり、立春の頃になると、日照時間が長くなったことが、生命の活動への影響を現わし始めると考え、立春を年初とする根拠の一つと考えていたのである。ちなみに、秋口の次第に寒気が増す時期は、「三伏生寒(さんぷくせいかん)」と言う。
殷の時代には、干支は日の巡りを記述するためだけに使用されていたようであるが、紀元前1世紀頃には年にも干支を配することが定着してきたようである(内田正男著『暦と天文・今昔』)。現在使用されている年の干支は、中国の伝説上の帝王である黄帝が即位したとされる紀元前2697年年初を甲子年甲子月甲子日甲子刻とし、暦の始まりとなるように逆算して定めたことに始まっている。文献考証的には、中国において年の干支が定められたのは、太初暦が施行された紀元前117年の甲子年で、以降2000年余の間、年の干支は六十干支を順に巡り、途中途切れることなく現在に至っているのである。
つまり、干支暦では1年は立春・寅月の節入の時刻から始まり、丑月に終わることになり、再び立春を迎えると、年の干支が次の干支に進む。
立春は2月4日頃だから、元旦から立春前までの生まれの場合、干支暦の正式な決まりでは、えとは前年のものになる。例えば、「私はネズミ年生まれ」と思っていても、1月生まれなら、干支暦によるとイノシシ年なのである。しかし、えとにそれほどの厳密さを求める必要はないであろう。また、還暦とは、数え年61歳になり、生年と同じ干支が巡ってきたことを言い、これを祝う慣習である。

「四柱推命学入門」小山内彰 (希林館)より