「今日の問題は何か、戦うことなり。明日の問題は何か。勝つことなり。あらゆる日の問題は何か。死すことなり」
と、ヴィクトル・ユーゴーは、あの有名なる「レ・ミゼラプル」
の巻頭に書いております。まことに今日の問題は戦うことです。あらゆる災難と戦うことです。清き正しい心をもって飽くなき肉慾と戦うことです。少なくとも「今日の問題」は、所詮、霊と肉との争闘(あらそい)です。しかして、明日の課題は、霊によって肉を征服することです。悟りの智慧によって、迷いの煩悩をうち破ることです。だが、あらゆる日の問題は、死ぬことだという、この厳粛なることばを、私どもはよく考えねばなりません。死を覚悟してやる、死を賭して戦う、これくらい世の中に強いものはありません。死を覚悟していない、つまり魂をうちこんでいない仕事は、結局、真剣ではないわけです。死を賭して戦わざるものは、いつも敗者の惨めさを味わうものです。「あらゆる日の問題は死ぬことなり」という言葉ほど、厳粛な真剣なことはありません。良寛和尚が、「死ぬ時には、死んだ方がよろしく候」といったのは、まさしくこの境地です。何事も一生たった一度という「一期一会」の体験(さとり)に生きている、あの菩薩の生活態度は、まさしくこの間の消息を、雄弁に物語っておると思います。
高神覚昇「般若心経講義」(角川ソフィア文庫)