時として狂気となって表れるゴッホの、強烈な陽エネルギィは、軌道数の5と、それを構成する出生数の3や8などがあきらかに示しています。
後年、彼自身が自分の作品の完成は、弟テオの助けがなければ起こり得なかったと公言していたと言いますが、その弟はゴッホに欠けている陰性の部分を、きっちりと埋めてくれるような人物でした。ところがゴッホは、5の究極の目的である"自己の超越"のためにより強力な相手――ゴーガンを求めたのです。
ゴーガンは、皮肉屋であまり人をよせつけないという7のマイナス面を持つ人物として語られますが、むしろそれは彼が独自の世界を尊重していたことの表れです。彼は孤独を愛していました。
経済的なことを理由に選んだタヒチ島での生活から、さらに離島へと移り住んだことや、妻や子供を捨て、あるいは恋人に裏切られ、と決して幸福な家庭を持つことはなかったであろう生きざまにも、それは表れています。そして、その彼が描く「タヒチの女」たちは、いっさいの恋愛ゲームを抜きに、直接女性の深みに触れたかのような彼の鋭い洞察力を感じさせます。
奇妙なことに、本来ならゴッホの誘いにもそっぽをむくはずのゴーガンがアルルにおもむいたのは、彼のもっとも苦手とする5の、変化の周期に入ってまもなくでした。 いくつもの偶然性が重なって、その出会いは必然となったのです。
共同生活も軌道に乗ったかに思えたある日のこと。2人は互いの肖像画を描き始めたのですが、ゴー ガンのキャンパスに描き出された自分を見たゴッホは、”それは気が狂った私だ!”と叫んだのです。ゴー ガンはその冷静な眼で、確かに彼の狂気の部分を描いた……そして数日後――。
何度目かの激しい発作におそわれたゴッホは、ゴーガンに刃物で切りつけようとしてにらみ返され、結局は自らの耳を切り落としてしまうのです。そのあり余るエネルギィが創造性にではなく、自己破壊の方向にむけられた顕著な例といえます。ともあれ、この出会いは、ゴー ガンを孤独の旅へと、ゴッホをその狂気を越えるための死の淵へと、それぞれ導いたのです。

『100年数秘の本』DASO著 (ヴオーグ社刊)より