伊豫の筒井村の農家に作兵衛といふ人がありまし た。祖先からの借金がたくさんあったので、その日その日のくらしもなか/\難儀でした。作兵衛は幼い時から、何とかして家の借金を返したいと思って、一生けんめいに働きました。

十五歳の時に、母は病氣でなくなりました。その後、作兵衛は朝夕食事の世話をし、晝は父と一しよに田畑を耕しました。又夜おそくまで草鞋を作り、それを軒下につり下げて置いて、往来の人に賣りました。その草鞋の丈夫なのとはき工合のよいのが評判になって、いつもすぐに賣切れました。作兵衛はかやうに夜晝一心に働いたので、村の人は皆、若い者の手本だといつて、ほめない者はありませんでした。

そのうちに家のくらしも次第に築になり、長い間の借金も残らず返してしまひ其の上に少しばかりの田地を買ふことが出来ました。其の時の親子の喜はたとへやうもありませんでした。作兵衛は勇んで村役人の所へ行って買った田地を公に自分のものとする手績をしました。村役人たちは作兵衛の買った田地が悪くて収穫が少いのに、税を納めさせることを氣の毒に思ひました。しかし、作兵衛は、「どんな田地でも骨折つて作ったならば、決してよくならないことはありますまい。此の村に荒れた田地の多いのは私どもの骨折がまだ足らない為だど思ひます。私は出来るだけ働いて悪い田地をよい田地に仕上げ、村の為になるやうにしたいと思ひます」と言ひましたので、村役人たちは作兵衝の心掛に感心しました。其の後、作兵衛は、はたして其の田地をよい田地に仕上げました。なほ其の上に、よい田地をたくさん買ふことが出来ました。

『国民の修身』監修 渡辺昇一